LTR通信
2023年04月25日 [LTR通信]
【えるカフェ】マインドフルネスのススメ(連載第9回)
※こちらの記事は「LTR通信2023春夏号」に掲載中です。
▶連載第1回〜第8回もあわせてお楽しみください。
マインドフルネスのススメ(連載第1回)
マインドフルネスのススメ(連載第2回)
マインドフルネスのススメ(連載第3回)
マインドフルネスのススメ(連載第4回)
マインドフルネスのススメ(連載第5回)
マインドフルネスのススメ(連載第6回)
マインドフルネスのススメ(連載第7回)
マインドフルネスのススメ(連載第8回)
今回もマインドフルネスを日常生活にどのように生かしてゆくか、というお話を続けましょう。先日、マインドフルネス瞑想を日常的に実践されている方とお話をしていたのですが、会社がどんどん悪い方向に進んでいてとても苦しいとのこと。いくらマインドフルでいようと心がけていても、その都度、暗い気持ち、辛い気持ちに陥っている自分に気付くだけで、なかなか楽にならない様子でした。
さて、会社の状況を好転させるための具体的な方策についての詳細は省きますが、ココロの問題はどう解決するのでしょう。確かに差し迫った脅威や心配事があるとき、「鼓動が速い」とか「みぞおちあたりがキュッと痛む」とか「不安や恐れを感じる」と気付いたとしても、それだけで脅威や心配事が消えるわけではありません。結局ぐるぐると思い悩んでしまって、心の平安は得られないのではないでしょうか。
この問題を解決するために、マインドフルネスのルーツから考えてみましょう。マインドフルネスは、仏教のヴィパッサナー瞑想をもとに、心理学、精神医学的な観点から味付けをして、現代風に翻訳をしたものであることはすでにご紹介しました。
しかし、ヴィパッサナー瞑想自体は、仏教の修行方法の一つであり、究極の目的を涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)に至ることとします。ここで仏教の考え方を見てみますと、空(くう)という概念が出てきます。
空とは、あらゆるモノゴトには実体がないということです。かの有名な般若心経でも「色即是空」と空の教えを説いています。この空を悟ること、つまり空の考え方を体得することは、仏教の修行の一つの目安にもなります。
私が私であると感じる存在も含めて、あらゆるモノゴトが空であれば、それに実体はないのですから、執着することや拘(こだわ)ることがなくなります。思い悩むことは何もないのだと腑に落ちるようになるのです。
ただ、こればかりはなかなかに難しくて、今まさに溺れかけている方に「空だよ、空‼」と叫んでみても一体どれほど役に立つのかと思います。ですから、先の方には、会社の状況を好転させられるかもしれない方策をいくつか教授したうえで、命まで取られるわけではないのだから、何もあなたがそんなに深刻に抱え込む必要はないこと、やるだけやって最善を尽くしたら、後は事態を天に任せてしまったらいい、ということをやんわり伝えるようにしました。
私自身も、もし辛い状況に陥って溺れかけたら、そんなふうに冷静に対処できるかどうかも分かりません。だからこそ私たちは、日々修行をするしかないのかしら、と常々考えているところです。(弁護士 竹中 一真)
▶連載第1回〜第8回もあわせてお楽しみください。
マインドフルネスのススメ(連載第1回)
マインドフルネスのススメ(連載第2回)
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マインドフルネスのススメ(連載第5回)
マインドフルネスのススメ(連載第6回)
マインドフルネスのススメ(連載第7回)
マインドフルネスのススメ(連載第8回)
ココロの問題は「マインドフルネスのルーツ」から考える
今回もマインドフルネスを日常生活にどのように生かしてゆくか、というお話を続けましょう。先日、マインドフルネス瞑想を日常的に実践されている方とお話をしていたのですが、会社がどんどん悪い方向に進んでいてとても苦しいとのこと。いくらマインドフルでいようと心がけていても、その都度、暗い気持ち、辛い気持ちに陥っている自分に気付くだけで、なかなか楽にならない様子でした。
さて、会社の状況を好転させるための具体的な方策についての詳細は省きますが、ココロの問題はどう解決するのでしょう。確かに差し迫った脅威や心配事があるとき、「鼓動が速い」とか「みぞおちあたりがキュッと痛む」とか「不安や恐れを感じる」と気付いたとしても、それだけで脅威や心配事が消えるわけではありません。結局ぐるぐると思い悩んでしまって、心の平安は得られないのではないでしょうか。
この問題を解決するために、マインドフルネスのルーツから考えてみましょう。マインドフルネスは、仏教のヴィパッサナー瞑想をもとに、心理学、精神医学的な観点から味付けをして、現代風に翻訳をしたものであることはすでにご紹介しました。
しかし、ヴィパッサナー瞑想自体は、仏教の修行方法の一つであり、究極の目的を涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)に至ることとします。ここで仏教の考え方を見てみますと、空(くう)という概念が出てきます。
あらゆるモノゴトが空(くう)であるとは?
空とは、あらゆるモノゴトには実体がないということです。かの有名な般若心経でも「色即是空」と空の教えを説いています。この空を悟ること、つまり空の考え方を体得することは、仏教の修行の一つの目安にもなります。
私が私であると感じる存在も含めて、あらゆるモノゴトが空であれば、それに実体はないのですから、執着することや拘(こだわ)ることがなくなります。思い悩むことは何もないのだと腑に落ちるようになるのです。
ただ、こればかりはなかなかに難しくて、今まさに溺れかけている方に「空だよ、空‼」と叫んでみても一体どれほど役に立つのかと思います。ですから、先の方には、会社の状況を好転させられるかもしれない方策をいくつか教授したうえで、命まで取られるわけではないのだから、何もあなたがそんなに深刻に抱え込む必要はないこと、やるだけやって最善を尽くしたら、後は事態を天に任せてしまったらいい、ということをやんわり伝えるようにしました。
私自身も、もし辛い状況に陥って溺れかけたら、そんなふうに冷静に対処できるかどうかも分かりません。だからこそ私たちは、日々修行をするしかないのかしら、と常々考えているところです。(弁護士 竹中 一真)